トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2013年5月 第149号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

褥瘡、誤嚥…外国人看護師候補に日本語の壁(2013/4/30 読売新聞)

経済連携協定(EPA)に基づくインドネシアやフィリピンからの看護師の受け入れが進まない。

今年の国家試験では、試験時間の延長などの優遇策を講じたが、合格率はわずか9%で前年を下回った。

日本語習得の難しさや、教育体制が整っていないことが背景にある。失意のうちに帰国する人が相次いでおり、支援のあり方が問われている。

「今年が最後のチャンスだったので、とてもうれしい」。東京都板橋区の病院のフィリピン人女性(41)は来日4年になる今年の3月25日、看護師国家試験に合格した。今月から念願の白衣に身を包み、病棟で働いている。

「看護師としての技術を高め、家族を養いたい」との思いで2009年6月、夫と4人の子供をフィリピンに残して来日した。母国では4年制大学を卒業。看護師の資格を持ち、病院の小児科で働いていた。だが、その経験は日本ではあまり通用しなかった。「川崎病」や「認知症」など、母国ではなじみの薄い疾患も多く、日本の医療保険制度を一から学ぶのにも苦労し、3年連続で不合格になった。

看護師候補者は原則として3年以内に合格しなければならない。ただ、試験成績が一定水準以上など条件を満たせば、特例で1年間の延長が認められる。女性も特例措置で、帰国を1年延ばした。

病院の協力を得て、午後はすべて勉強に充てた。日本語の指導を受けたり、模試で間違った問題を解き直したり。休日も6時間近く自習し、やっと合格にこぎつけた。「くじけそうになることもあったが、応援してくれるスタッフや家族のために、どうしても合格したかった」と振り返る。

小林信子・看護部長は「やる気も資質もあるのに、合格出来ずに帰国してしまう人がいるのは残念。来日前の日本語研修を手厚くし、看護学校の授業を聴講出来るようにするなど、支援方法を確立することが必要だ」と指摘する。

帰国しなければならない。14年度からは、ベトナムからの受け入れも始まる。

2008年度に始まった看護師候補者の受け入れだが、合格率は10%前後で、全体の合格率約9割とは大きくかけ離れている。

背景には言葉の壁がある。試験には、床ずれを意味する「褥瘡(じょくそう)」や、飲食物が気管に入る「誤嚥(ごえん)」など難しい単語も多かった。このため厚生労働省は、難しい漢字にルビをふったり、英語表記を加えたりしてきた。

今年2月の試験では試験時間を1・3倍に延長し、全ての漢字にルビを振る措置を取ったが、受験した311人のうち合格したのはわずか30人。合格率は9・6%で、昨年より1・7ポイント低下した。同省は「病気や制度の理解が十分でない人もいる」として、候補者にアンケートをして支援策を検討したいとしている。

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難関 看護師試験に合格 経済連携協定で来日 比人のダビドさん 和歌山(2013/4/30 産経新聞)

経済連携協定(EPA)に基づいて来日し、和歌山市和歌町の寺下病院で働くフィリピン人のドナベル・カルマ・ダビドさん(27)が、看護師国家試験に合格した。言葉や文化の壁を乗り越えての難関突破で、県内からの合格者は初めて。「患者さんに喜ばれるように頑張りたい」と意気込んでいる。

ダビドさんが来日したのは平成23年5月。ミンダナオ島の総合病院で看護師として働いていたが、EPAの制度を知り、「日本の高い医療技術を勉強したい」と日本行きを決めた。

半年間の語学研修を経て寺下病院に看護助手として赴任。午前中は仕事、午後は国家試験のために教科書と向き合う日々が続いた。日本語は英語と文法が異なるうえ、漢字、ひらがな、カタカナがあり、苦しみながら勉強したが、模擬試験の成績は国家試験合格にはほど遠い点数だった。

「いくらやってもできない」。昨夏、弱音を吐くダビドさんに、指導担当の中京子総師長(54)は「何のために日本に来たの。試験を受けないならフィリピンに帰りなさい」と厳しい言葉を告げた。あきらめて帰国を考えたとき、来日に反対していた父の顔が脳裏をよぎった。「自分で決めて日本に来たのに、負けて帰るわけにはいかない」。覚悟を新たに勉強に励んだ。

本を読んで覚える方法から書いて覚える方法へと、学習スタイルを変えた。自分なりに工夫を凝らしていくと、成績は急上昇した。模擬試験でも合格が見込めるようになったが、本番の国家試験では時間内に問題を解けず、「今年はだめです」と中総師長にメールした。ところが、自己採点すると合格点を突破していた。「信じられなくて5回採点しました」と笑う。

3月下旬の合格発表。真っ先に家族に連絡した。来日に反対していた父が「おめでとう。今度日本を案内してね」と祝福してくれた。いつもそばで支えてくれ、「日本のお母さん」と慕う中総師長も、涙ぐみながら喜んでくれた。

「絶対合格したいという強い気持ちと周りの応援があったからここまでこれた」。苦難の道程を、すがすがしい笑顔で振り返る。

現在、回復期リハビリ病棟で看護師として働く。「日本の病院のやり方を少しずつ覚えて、患者さんに喜んでもらえる医療を目指したい」と抱負を語った。

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日本で介護士「夢かなった」 県内候補生初の合格(2013/4/22 静岡新聞)

経済連携協定(EPA)により、2009年に県内で初めて受け入れた東南アジア出身の介護福祉士候補生が国家試験に臨み、14人中5人が合格した。「夢がかなった」と日本での就労に意欲を見せる一方、この春、介護現場を離れざるを得ない受験者も。外国人介護士の就労の難しさが浮き彫りになっている。

浜松市西区の西山病院で研修し、難関を突破したフィリピンの候補生2人は、4月から晴れて正社員として働き始めた。ラダザ・ジョアン・バルバソさん(35)は「新しい人生が始まった気分。現場の仕事をもっと覚えたい」と笑顔を見せる。

同病院ではこのほか、既に資格を取得したフィリピン人など5人の外国人が勤める。人事課の金谷昇さん(63)は「患者さんの要望を一生懸命聞き、素直で真面目。日本人スタッフが学ぶことも多い」と働きぶりを高く評価する。

ただ、今回の県内合格者のうち3人は、家庭の事情などにより帰国や退職を決断した。不合格者には1年の滞在延長措置があるが、再受験を目指すのは3人にとどまる。

研修費用など施設側の負担が大きいため、「不合格の場合は雇用契約を延長しない」と決めた施設もある。県西部の施設担当者は「せっかく育てた人材なので残念」と複雑な胸の内を語る。

県内の受け入れ人数は09年度生を含め30人。日本語指導マニュアルの作成や国への制度見直し要望などを行ってきた県は「今回の試験が、介護現場での外国人受け入れの第一歩」(介護保険課)と考えている。今後も候補生の試験対策など支援を続ける方針だ。

EPAによる外国人介護職員受け入れ インドネシアは2008年度、フィリピンは09年度から開始した。県内の受け入れは両国とも09年度から。昨年度の受験者は全国で322人(合格128人)で、合格率は39・8%。県内候補生の合格率は35・7%。合格率が低迷しているため、政府は日本語研修を受けずに来日した08、09年度来日組などについて、在留期間を1年延長する特例を認めている。

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外国人看護師の試験に合格(2013/4/12長崎新聞)

大村市久原2丁目の国立病院機構長崎医療センターに勤務するインドネシア人、エレン・ムティアラ・インダ・マヌルンさん(32)が、2012年度の看護師国家試験に4度目の挑戦で合格した。経済連携協定(EPA)に基づいて受け入れている看護師候補者として09年11月に来日。「不安はあったが、みんなに支えられた。レベルアップを図りたい」と笑顔を見せる。

試験は2月に実施。日本人と同じ問題で、ほぼすべて日本語。インドネシア人とフィリピン人の311人が受験し、合格者は30人。合格率1割の難関を突破したのは、九州ではマヌルンさんだけだった。

インドネシア・バンドン出身。03年に看護師となり、ジャカルタで救急医療に携わった。EPAを知り、「日本の高度な医療技術を学びたい」と思った。現地でテレビ放映されていた「ドラえもん」を楽しむなど日本に親しみもあった。

病院側との調整や半年間の日本語学習を経て10年1月、長崎医療センター入り。消化器・内科病棟の看護助手として患者の検査や食事の世話に当たる一方、仕事前後に日本語で日記を書き、試験勉強をした。センターの協力で指導者をつけてもらい、試験前の半年間は1日10時間以上机に向かった。「おねしょ」「夜泣き」、じん肺に関連する「炭鉱」など特有の単語の理解に苦労したという。

EPAでは来日から4年間の滞在期間中に試験に合格しなければ帰国となる。今回が最後の挑戦だった。「昨年落ちて帰国も考えたが、残ってよかった」。現在は看護技術、患者とのコミュニケーション能力の向上に向けて腕を磨いている。

「好物はうどん。どら焼もね」と笑う。重富祐子看護師長は「エレンさんは明るく、場を和ませる存在。他の看護師も『頑張ろう』と思い、刺激になっている」と話す。

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県内初の外国人介護福祉士・アグンさん 友と支え合い難関突破、山形でずっと働きたい(2013/4/3山形新聞)

山形市の特別養護老人ホームながまち荘(峯田幸悦施設長)で働きながら勉強を続けてきたインドネシア出身のアグン・マルディアナ・ワヒュニさん(28)が、県内の外国人では初めて、介護福祉士の資格を取得した。夫や子どもと離れ、言葉の壁を感じながらの慣れない生活だったが、ともに頑張ってきた同郷のドゥイ・アストゥティさん(27)をはじめ、多くの人の支えで難関を突破した。2日には県庁を訪れ、吉村美栄子知事に合格を報告した。

「ドラえもん」などのアニメやドラマ「おしん」と、アグンさんにとって日本は、小さなころから身近で憧れの国だった。「いろんなことを日本で勉強したい」。成長するにつれ、思いを深めていった。

来日したのは、2009年11月。静岡県内で日本語を学んだ後、10年1月からながまち荘で介護職員として働きながら日本語や介護の勉強をしてきた。インドネシアでの看護師経験はあったが、言葉も含めて全てがゼロからの挑戦。コミュニケーションがうまくとれず、何度もつらい思いをした。

そんな時に支えてくれたのは一緒に来県し、ともに資格取得を目指しながら、ながまち荘で働くドゥイさんだった。「外国人」としての思いを共有しながら何度も話し合い、励まし合いながら過ごした3年余り。ことし1月に2人で国家試験を受け、3月末にアグンさんの合格が分かった。全国の合格率は39%と難関で、ドゥイさんには吉報が届かなかった。

県庁を訪問した2人に、「多くの人が期待している。これからも頑張ってほしい」と吉村知事。アグンさんは「ドゥイさんと2人で支え合えたのが良かった。山形が大好きで、ずっと働きたい。心が通った介護を心掛け、高齢者を自分の親のように世話したい」と意気込む。次の夢は、インドネシアで暮らす夫(28)と小学1年生の長男(6)と、共に山形で暮らすことだ。

2人は日本とインドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づく県内初の看護師・介護福祉士候補者として来県していた。

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