トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2011年4月 第124号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

外国人の看護師試験、合格率4% 日本語の壁なお厚く 10年度は16人 (2011/3/25 日本経済新聞)

厚生労働省は25日、経済連携協定(EPA)に基づいて来日したインドネシア人とフィリピン人について、2010年度は16人が看護師試験に合格したと発表した。前年度の3人から増加したが、合格率は依然として4%と全体平均(91.8%)に比べて低かった。試験問題で病名に英語を併記するなどの対策を講じたが、「日本語の壁」は引き続き厚かった。

看護師の国家試験は年1回実施され、今年度はインドネシア人285人とフィリピン人113人が受験した。EPAに基づき08年に来日したインドネシア人第1陣候補は今年で滞在期限が終わる。そのため政府は不合格者について、1年間の特例的な滞在延長を認める方針だ。

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インドネシアの看護師候補合格 デウィさん (2011/3/26 読売新聞)

看護師国家試験の合格発表が25日あり、EPA(経済連携協定)に基づき、八王子市内の病院で働きながら試験勉強していた外国人看護師候補者が難関を突破した。外国人に限った合格率は4%で、多摩地区の病院からは初という。

見事合格したのは、八王子市椚田町の永生病院で働くインドネシア人、デウィ・セプチヤスリニさん(27)。同日午後2時、院内の図書室のパソコンで、厚生労働省のホームページ上に自分の受験番号を見つけると、「いつも応援していただいて、本当にありがとうございました」と、集まった病院関係者に感謝の言葉を口にした。

デウィさんはジャカルタ市内の病院で看護師として働き、2008年8月、EPAの看護師候補生第1陣として来日した。昨年の試験は、問題文に分からない漢字などがあり不合格。今回は、試験3か月前になると1日12時間以上を試験勉強に費やした。

デウィさんは「日本語をもっと勉強し、患者さんともスタッフとも、きちんとコミュニケーションをとって仕事をしていきたい」と抱負を語った。同病院相談役の宮沢美代子さんは「彼女の努力ははたから見ても、ひしひしと伝わってきた。本当にうれしい」と感激した様子だった。

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「世界で通用する看護師に」合格したジャヒサルさん(2011/3/26 ジャカルタ新聞)

2008年に来日し今回合格したジャヒサル・ビンジョリさん(28)は、栃木県野木町の「リハビリテーション花の舎病院」で働く。

「一番大変だったのは漢字」とジャヒサルさん。病院が負担して毎週土曜、野木町から電車で約45分のさいたま新都心の予備校へ通った。平日は午前8時から午後5時半まで働き、その後、試験勉強は深夜2時まですることもあった。

病院では食事や排泄の介助を行ってきた。病院の職員は「皆温かく、仕事も勉強も生活もすべて支援してくれた」というが、出身地の北スマトラ州メダンの救急病院で働いた経験のあるジャヒサルさんにとって「仕事の内容は満足でなかった」。

合格発表を一緒に見た同僚のダセップさん(29)は残念ながら不合格。ダセップさんは妻と一歳の子どもをインドネシアに残してきており、家族を日本に呼び寄せられなければ、一年間日本へとどまるのは難しいと考えている。「ダセップさんだけじゃなく、家族がいるほかの仲間もみんな同じ気持ち」という。

ジャヒサルさんの夢は「世界のどこでも通用する看護師になること」「日本は世界の中でも技術が高く、日本でできればどこでもできると思っている」と意気込みを語った。

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看護師試験 合格 レニさん 1日5時間勉強 4%の難関突破 (2011/3/28 読売新聞)

インドネシアとの経済連携協定(EPA)に基づき、看護師の資格取得を目指して来日し、県済生会病院(福井市和田中町)で研修生として働くレニ・プルウィタサリさん(29)が、国家試験に合格した。この協定による外国人の合格率は、4%の狭き門だったという。レニさんは「インドネシアの両親も喜んでくれると思う。驚いたけど、本当にうれしい」と白い歯を見せた。

レニさんは来日から2か月後の昨年1月、済生会病院に受け入れられた。漢字をほとんど読むことができず、日本語や専門知識を習得するため、1日5時間の猛勉強を続けてきたという。退職した看護師がボランティアで勉強を教えるなど、病院側も手厚くサポートした。

勉強の傍らで患者の入浴介助や病室の清掃など、看護の補助業務をこなした。風呂に入れない入院患者の手足を丁寧に拭くなど、真心のこもった仕事ぶり。田中延善院長は「ほかの看護師が逆に刺激を受け、学ばせてもらった」と話す。太陽のような温かい笑顔が、周囲の看護師や患者に親しまれた。

レニさんは「周りの応援があったから合格できた。このまま日本で働いて、もっと勉強したい」と笑顔を見せた。看護師として引き続き済生会病院で働くことを希望し、病院側も応じる方針だ。

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被災者支援したい インドネシア人女性が看護師に (2011/3/29 神戸新聞)

日本との経済連携協定(EPA)に基づいて来日し、姫路赤十字病院(姫路市下手野)で看護助手として働くインドネシアの女性スワルティさん(32)が、2月に実施された看護師1 件国家試験に合格した。母国でも看護師として活動し、2004年に発生したスマトラ沖地震では、発生直後、被災地で医療活動に従事した。「経験を生かし、東日本大震災で被災した人たちの支援に行きたい」と話す。

外国人候補者は全国で16人が合格。県内では、スワルティさんと、神戸で働く同郷の男性の2人が初めての快挙だ。

スワルティさんは父親の勧めもあって子どものころから看護師を目指し、首都ジャカルタ市近くの病院の集中治療室(ICU)で約6年間、看護師として働いた。

スマトラ沖地震の発生時は、病院や学校などの公共施設に運び込まれた負傷者に、点滴を打つなどの対応を1週間続けた。「遺体が散乱し、水も食べ物もなく、みんな大変なストレスだった」と振り返る。イスラム教徒のスワルティさんは「頑張ろう。神様がいる」と声を掛け回り、励まし続けたという。

スワルティさんは08年に来日。姫路市内で暮らしながら、姫路赤十字病院で2年間助手として実習と勉強を積み重ね、3度目の挑戦で合格をつかんだ。4月1日からは看護師1 件として同病院の小児科系の部署で働くことが決まった。

「東日本大震災は、津波が発生したインドネシアの地震と似ているが、日本は技術力が高い。早い復興を信じています」と話した。

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被災地のEPA候補者全員の無事確認 (2011/3/16 キャリアブレイン)

日本との経済連携協定(EPA)に基づいて来日中のインドネシア人とフィリピン人の看護師・介護福祉士候補者のうち、東日本大震災で被害を受けた東北6県と茨城にいる候補者について、受け入れをあっせんしている国際厚生事業団は3月16日、候補者全員の無事を確認した。

これまでに来日した候補者は1日現在、1061人(合格者3人を除く)。このうち、今回の被災地域では、青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島、茨城の7県にある病院と介護施設合わせて25施設が、インドネシア人とフィリピン人の候補者計57人を受け入れている。

厚生労働省の担当者は、「受け入れ施設が全壊したという話は今のところ聞いていない。受け入れ事業に支障はないと思う」と話している。

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EPA看護師候補者らがボランティア結成- 東日本大震災受け (2011/3/22 キャリアブレイン)

東日本大震災の発生を受け、EPA(経済連携協定)に基づいて来日しているインドネシアとフィリピンの看護師・介護福祉士候補者有志が3月22日、災害ボランティアグループを結成した。今後、スケジュール調整などの準備を進め、4月末にも被災地に向かう予定。現在までに、看護師国試の合格者3人を含む約50人が参加の意向を示しているという。

同日、記者会見したモハマド・ユスプさんは、「お世話になった日本、大好きな日本のためにできることを何でもしようと思います。水を運んだり、マッサージをしてあげたり、子どもと遊んだりします。外国人の方が困っていたら、英語などで助けます。お年寄りのトイレの介助もします」「看護師の行為じゃなくても、日常生活の介助だけでもできればいいと思います」と話した。現地入りに関しては、勉強や仕事に支障が出ないよう、休日を利用するという。

ユスプさんらによると、インドネシア人候補者の多くは地震の被災地に派遣された経験があるという。会見に同席したアイヌール・ロフィックさんは、スマトラ島の地震の被災地で看護に当たった経験があるといい、「(被災者はみな)また地震が発生するのではないかと怖い思いをしていました。誰か人がそばにいると安心だと言っていました。わたしたちが今やりたいことはそれです」と話した。

ボランティアをコーディネートする財団法人海外技術者研修協会(AOTS)の大谷秀昭・広報グループ長によると、費用面では日本インドネシア協会や元研修生らの協力を得るという。大谷氏は、「病院の方々にも理解をいただきたい。彼らは勉強や仕事が大事なので、無理のない範囲で活動してもらえたらと思っている」と述べた。

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フィリピン女性、白河で献身介護 「私たちここに残る」 (2011/3/28 共同通信)

福島第1原発事故を受けて在日外国人の「日本脱出」の動きが続く中、死者12人が出た福島県白河市にある特別養護老人ホーム「小峰苑」では、4人のフィリピン人介護士候補が「お年寄りを見捨てて去れない」と働き続けている。フィリピンの地元メディアも「介護のヒロイン」などと彼女らをたたえている。

4人はルソン島中部ヌエバビスカヤ州出身の看護師メルセデス・アキノさん(27)、同島バギオ市出身の元NGOスタッフのジュリエット・トバイさん(27)ら。一昨年から昨年にかけて日本との経済連携協定(EPA)に基づいて来日した。

アキノさんによると、故国の家族からは毎日のように「フィリピンに帰って来て」と叫ぶように電話がかかってくるが、「お年寄りがここにいる限り残る」と決めている。「おばあちゃんたちからチョコレートをもらったり、日本語の勉強用のノートをもらったりとすごく親切にしてもらっている。地震も原発も怖いけど私たちだけ帰国はできない」と話す。

フィリピンでは高齢者を敬う習慣が根強く残っており、小峰苑によると、献身的な介護ぶりは「入所者にも非常に評判がいい」という。

彼女たちはフィリピンのテレビ局ABS―CBNのニュースにもネット中継で登場し、フィリピンの視聴者にも感銘を与えた。

彼女たちの悩みは日本語の勉強。日本で働き続けるには介護福祉士国家試験に合格しなければならないが「漢字がとても難しいし、今は勉強する余裕もない」。

EPAによって来日したフィリピン人介護士候補は、来年から試験を受けるが、今年2月に行われた看護師試験では、フィリピン人候補113人のうち1人しか合格できなかった。

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「怖くないすぐ戻る」(2011/3/29 ジャカルタ新聞)

東日本大震災の発生当時から約一週間、勤務先の宮城県山元町の病院に詰めて被災者支援に当たり、インドネシア政府から「国の誇り」と称賛された「看護師候補者」がいる。リタ・ルトナニンティアスさん(35)。一時帰国して滞在中の中部ジャワ州スマランの自宅で「地震も津波も怖くない。一カ月後、日本に戻り、みんなを助けたい」と語った。

リタさんは日本との経済連携協定(EPA)に基づく看護師候補者の派遣事業で2009年11月に訪日。日本での資格取得はまだだが、国立病院機構宮城病院で「看護助手」として働いている。

地震があった11日は休みで自宅にいたが、すぐに病院へ掛け付けた。約10メートルの巨大津波が迫ってくるのが見えて病院は騒然となり、入院患者ら約120人を上の階へ誘導。病院の前に丘があり、津波は直撃しなかったが、すぐに数百人の避難者が押し寄せた。電気も水もなく、通信も断たれて「一週間、町は孤立状態となった」

リタさんは病院で寝泊まりして働く一方、おにぎりと水を避難者に提供。一方、震災をニュースで知った夫バンバンさん(35)は「ショックだった。リタと連絡が取れず心配で知人や友人に電話をかけ続けた」と話す。

震災から5日後、インターネットが回復し夫らはようやくリタさんの無事を確認できた。リタさんは「病院に残りたかったけど、家族が不安がっていた」ため一カ月の休暇をもらい一時帰国。夫、子ども二人と再会した。

労働移住省幹部は「リタさんの働きはインドネシアの誇りだ」と称賛。しかし本人は「私はそんなに偉くない。ただ、普段通りの仕事をしただけ」と恥ずかしそうに話す。

4月には山元町に戻ることを決めているリタさん。「病院では毎日、仕事の後、日本語を教えてもらうなど、みんな優しかった。日本が困っている今、少しでも力になりたい」と力強く語った。

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看護師らの日本語研修、ジャカルタで始まる (2011/3/23 The Daily NNAインドネシア)

日本インドネシア経済連携協定(EPA)に基づき、2011年度に日本に派遣されるインドネシア人看護師・介護福祉士候補者らの日本語研修22日、南ジャカルタの教育省語学教員学習センターで始まった。約100人が今後3カ月間、ここで日本語を基礎から学ぶ。日本語研修期間は従来6カ月だったが、看護師の国家試験の合格率が低いことが問題となり、今回派遣される第4陣から9カ月に延長された。

22日の日本語研修開講式に出席した看護師は47人、介護福祉士は56人。日本語検定2級以上をすでに保有していて日本語研修が必要な人なども含めて、第4陣は計110人程度になる予定だ。

候補者らは教育省語学教員学習センターで3カ月研修を受けた後、日本に派遣され、さらに6カ月間の日本語研修を経て、来年1月から受入施設で就労しながら実地研修を受けた後、日本に派遣され、さらに6カ月間の日本語研修を受ける。滞在期間は、看護師で3年、介護士で4年が上限だが、滞在中に日本の看護師・介護福祉士試験を受けて合格すれば、滞在を更新できる。

塩尻孝二郎・駐インドネシア日本大使は挨拶の中で、「皆さんの力を借りて、日本は大震災から立ち上がる。日本人が復興に立ち向かう姿をぜひ見てきてほしい。多くの失敗にもめげず、そのたびに奮起して立ち直る『七転び八起き』の精神を忘れずに、皆さんもがんばってほしい」と候補者らを激励した。

日本語研修を担当する国際交流基金ジャカルタ事務所の金井篤所長は「基本的な日本語を身につけさせ、日本へ送り出したい」と抱負を語った。日本から派遣された日本語教師も含め計23人が授業を担当する。教師3人がチームとなって1クラス14人程度を受け持ち、きめ細かい指導をしていく方針だ。

候補者らは、これから始まる日本語の授業に期待と不安でいっぱいのようだった。西ジャワ州から来た看護師のトリスダワティさんは、ひらがなとカタカナが分かる程度。これから3カ月間日本語をみっちり勉強し、日本でがんばって働きたいとほほ笑んだ。大震災があった日本に行くことについて「心配はしていない。家族も応援してくれている」と力強く答えた。

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介護担う外国人、在留に壁国家試験・費用負担・・・(2011/3/6 朝日新聞)

慢性的な人手不足に悩む介護現場で、経済連携協定(EPA)に基づいて来日した外国人が奮闘している。県内では、11施設に24人のフィリピン人とインドネシア人が受け入れられ、働きながら介護福祉士の国家試験合格を目指している。しかし、短すぎる在留期間や施設側の費用負担など、課題は多い。

浜松市浜北区高薗にある特別養護老人ホーム「浜北愛光園」(野村則国園長)。フィリピンから来日したパラデロ・モン・アンジェロさん(22)ら3人の若者が、日本人職員に指導を受けながら働いている。この3人の介護福祉士候補生は昨年5月に来日し、半年間の研修後、入居者78人の介護にあたっている。

アンジェロさんらは週5日間、居室のシーツ交換や掃除のほか、排泄(はいせつ)などの世話をする。アンジェロさんに介護されたことのある70代の女性は「真面目だし、食事介助も上手」と信頼しきった様子だ。

アンジェロさんはフィリピンで看護師の資格を取得。母国では働き口がなかなか見つからず、EPAで来日した。「介護は看護と同じように人の命を預かる、やりがいのある仕事」と目を輝かせる。休憩は、漢字や介護の専門用語を覚える時間に充てている。

介護現場の人手不足は慢性的だ。静岡労働局の調べでは、2010年12月現在の有効求人倍率は全産業の0.53に対し、介護関係は1.82。将来的には人口減少で生産年齢人口(15〜64歳)が減り続け、団塊の世代が後期高齢者となる20年代には、人手不足が一層深刻化する。

EPAで外国人を受け入れる理由について、浜北愛光園を運営する社会福祉法人「聖隷福祉事業団」の石岡晃理事は「今のうちから人材を確保する必要がある」と説明する。

ただ、EPAで来日した外国人の介護福祉士候補生の在留資格はわずか4年。国家試験を受けるためには3年間の実務経験が必要となるため、試験に挑むチャンスは1回しかなく、不合格の場合は帰国しなくてはならない。

静岡市駿河区小鹿の特養「小鹿苑(えん)」では、2人のインドネシア人女性が2年後の国家試験を目指して働いている。2人は漢字の理解力も高く、三重野隆志施設長は「入所者とのコミュニケーションも問題ない」と話す。しかし、「日本人でさえ2、3回受けてやっと合格できる試験なのに、1回というのは酷。あと2年では到底足りない」と表情を曇らせる。

候補生を受け入れている施設にとっては、研修などの費用負担も重荷になっている。県によると、候補生1人あたり4年間で約1千万円。国家試験に向けて日本語力をどうつけさせるかも課題だ。各施設はカルタなど日本の文化と絡めたり、実技と並行して日本語を覚えさせたりするなど、試行錯誤を重ねている。

県は昨年3月、介護記録を英語入力できるシステムや資格試験用教材を県内の特養195施設に配布。同11月には、在留期間の10年への延長に加え、外国人の介護福祉士候補者を施設の介護職員として人員基準に算入できることなどを求める提案を、内閣官房地域活性化統合事務局に提出した。

提案に対する最終回答は今月末ごろにある予定。宮城島好史・県長寿政策局長は「現在の日本のEPA制度は理不尽。費用面などの問題で、10年度の受け入れ施設は前年から6割も減っている。国の回答に大いに期待したい」。

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外国人看護師候補、滞在1年延長を決定 意欲や成績条件  (2011/3/11 朝日新聞)

菅内閣は11日、インドネシアとフィリピンから受け入れている看護師、介護福祉士の候補者について、滞在期間を1年間延長させることを正式に閣議決定した。本人の意欲や今年度の試験の成績など、一定の条件を踏まえて限定的に認める。

厚生労働省などによると、この夏に滞在期限を迎えるのはインドネシアからの看護師91人。このうち、2月に実施された国家試験に不合格となった場合の候補者を対象にする。滞在延長を認める条件として、本人意思や試験成績のほか、受け入れ施設が研修改善計画を作って適切な研修を実施する環境を整えていること、などをあげた。

両国と署名した経済連携協定(EPA)では、看護師の候補者について3年間の日本滞在を認めている。2008年8月に来日した第1陣は、3月25日の国家試験の結果発表で不合格なら帰国を迫られることになっていた。

一方、看護師国家試験では、日本人の9割が合格するのに対し、EPAで受け入れているインドネシア人とフィリピン人の昨年の合格率はわずか1%と少なく、外交上の配慮もあるとみられる。

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介護福祉士国試、5年ぶりに合格が半数以下- 受験者数は過去最多(2011/3/29 キャリアブレイン)

厚生労働省は3月29日、第23回介護福祉士国家試験の合格発表を行った。合格率は48.3%(前回比1.9ポイント減)で、2006年以来、5年ぶりに50%を下回った。受験者数は15万4223人(前回比412人増)で、過去最多を記録した。

試験は、1月30日に筆記試験、3月6日に実技試験が行われた。

合格者は7万4432人で、男性が20.2%、女性が79.8%。受験資格別では、老人福祉施設の介護職員などが48.4%で最も多く、これに訪問介護員が21.5%、介護老人保健施設の介護職員が8.9%などと続いた。

今回の合格者が加わることで、国内の介護福祉士登録者は90万人を超える見通し。

介護福祉士国試は、07年の「社会福祉士及び介護福祉士法」改正に伴い、12年度から受験資格が厳格化される予定だったが、厚労省がこれを15年度まで延期する方針を示している。法改正では、3年以上の現場経験で受験できた実務経験者に対して、450時間分の研修も義務付けるなどの変更が加えられた。

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インドネシア人看護師候補、政府対応は場当たり 日本語教育など長期的視点欠く 受け入れ施設も減少 (2011/3/5 日本経済新聞)

インドネシアから初めて受け入れた看護師候補者の在留期間について、政府が1年延長する方針を打ち出した。資格試験を易しく言い換えるなど支援策も矢継ぎ早に打ち出す。だが政府のその場しのぎの姿勢には現場から戸惑いの声も上がる。人口減少と少子高齢化が進む日本で働き手の確保は不可欠。受け入れ態勢の立て直しが必要だ。

試験勉強に嫌気

「2月の看護師国家試験に落ちたら帰国する。もう二度と日本には来たくない」

東京都八王子市の永生病院の外国人担当者は世話をしているインドネシア女性がこう話していると聞いた。勤務態度も成績も優秀。だが試験勉強漬けの日々が続き嫌気が差したという。2008年に日本にやってきたインドネシア人の看護師候補は計140人。すでに約1割が日本での活動をあきらめ、帰国した。

帰国増加を危ぶんだ政府はインドネシアの看護師候補の滞在期間を1年延ばす。介護福祉士候補やフィリピン人の候補者の在留延長も検討する見通し。2月の看護師国家試験では問題文をやさしく書き直したり、ふりがなや英語表記を認めるなど対応におおわらわだ。

西巣鴨の会場で国家試験を受けたインドネシア人のモハメド・ユスプさんは「たしかに問題が読みやすく解きやすかった」と振り返る。だが日本人の看護学生の間では今年の問題は引っかけが少なくて簡単だったとの感想がもっぱら。合格最低点が上がり、逆に外国人のハードルが上がったとの見方も出ている。

より深刻なのは外国人を受け入れる病院と介護施設の減少だ。たとえばインドネシア人の介護福祉士候補の受け入れを希望する介護施設は08年度は131(336人)だったが、11年度は30施設(65人)まで減った。

都内で働くベテラン看護師は「日本語教育が中途半端なままでの受け入れがいかに大変か口コミでみんな知っている。手を挙げるはずがない」と話す。インドネシア人の指導に当たる河北総合病院の服部満生子ナーシングディレクターは「受け入れはただの人材交流なのか、将来の担い手の育成なのか、日本は明確にすべきだ」と言う。

担い手育成急務

政府内では受け入れ対象をインドなどに広げる案が浮上している。これまでは3人の現役世代が1人の高齢者を支える「騎馬戦」型だったが2050年代には1人で1人を支える「肩車」型になる。働き手を1人でも増やさなければならない。

日本での長期就労を望む外国人がいる一方で、短期間の出稼ぎ目的の人も多い。働き手を求める病院や介護施設とミスマッチは否めない。来日する人の選抜や現地での日本語教育など長期的な取り組みが欠かせない。

外国人看護師などの受け入れは「経済活動の連携」を揚げたEPAで始まった。将来の担い手不足などを計算して戦略的に動き出したとは言い難い。少子高齢化と人口減少の波の中で、海外の人材を生かせる制度を整え直す必要がありそうだ。

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外国人看護師受け入れ、負の連鎖も (2011/3/7 キャリアブレイン)

2月下旬、今年度の看護師国家試験が行われ、経済連携協定(EPA)に基づいて2008年夏に来日したインドネシア人看護師候補者(第1陣)約90人が最後の試験に臨んだ。彼らは不合格の場合、8月に滞在期限を迎えるため、政府は来年度も受験できるよう、在留期間を1年延長する方向で調整している。ただ、仮に延長になったとしても、あくまで「応急処置」にすぎず、制度の見直しという課題は残されたままだ。この問題は日本とインドネシア、フィリピンとの友好関係だけでなく、看護師候補者の人生をも左右するが、このままでは負の連鎖が続くとの懸念が広がっている。

「わたしたちはこの何年間か、国家試験に合格するために毎日勉強してきました。時間もなく…家族と離れて…日本人の中で日本語に苦しみながらの毎日でした。何度インドネシアに帰りたいと思ったか分かりません」―。3月5日に在日インドネシア大使館で開かれた第1陣の慰労会。候補者を代表して日本語であいさつしたデウィ・スプティヤスリニさんは目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。

デウィさんは名門インドネシア大を卒業後、首都ジャカルタ市内の病院で経験を積んだエリート看護師だ。しかし、その彼女にとっても言葉の壁は厚く、候補者から初の合格者が出た昨年度の試験でも、合格ラインにわずかに届かなかった。関係者によると、彼女は今回も合格者の最有力候補の一人だという。「昨年に比べて易しかったけれど、合格点も上がるので分かりません」とデウィさんは話す。ただ、不合格だった場合の帰国だけは既に決めているという。「3年で合格しなかったら帰ると、最初から決めていました。もう(頑張る)元気はないです」。彼女の顔には疲労の色がにじんでいた。

一方、彼女と同じ病院で働くイルファン・ボラギンアギンさんは、「必修問題はできたけれど、一般問題は難しかった」と話す。イルファンさんは不合格でも日本にとどまるという。

■「候補者の合格は厳しい」との声も

予備校関係者によると、今回の試験は例年に比べて難易度が低かったという。ある関係者は、「昨年並みの合格点ならば、30人ぐらいは受かるかもしれない」と話す。看護師国家試験では、必修問題(50問)で一定の正答率(例年は8割以上)を上げた上で、一般問題と状況設定問題で合格ラインに達する必要がある。今年度の合格点は、週内に開かれる厚生労働省の医道審議会の分科会で決まるが、合格点が跳ね上がる可能性もある。

今回の試験では、専門用語に英語を併記したり、難解な言葉を簡単な表現に改めたりするなど、外国人受験者に配慮する措置が取られたが、その効果には疑問が残る。ある関係者は「第1陣の候補者は日本語で覚えているので、英語表記は意味がなかったのではないか」と話す。デウィさんも、「あまり変わらなかった」と言う。前出の予備校関係者は、「(表現が改まって)問題文が長くなり、外国人には逆に不利になったようだ。外国人候補者の合格は厳しいのではないか」との見方を示した。

■受け入れ延長で苦悩する医療機関

候補者を受け入れている医療機関側も苦悩している。現行の制度で受け入れ施設側は、日本人と同等以上の給料を支払わなければならない一方、日本の看護師の国家資格を持たない候補者には看護補助の仕事しか認められていない。補助金が一部支給されているものの、施設側は教育費などを負担しなければならない上、候補者の世話をする職員も必要だ。このため、滞在期間が1年延長されても、引き続き受け入れるかどうか、施設側は苦渋の選択を迫られている。

「わたしたちも、頑張っている彼らを帰国させるなんて、そんな理不尽なことはしたくないですよ」。デウィさんとイルファンさんを受け入れている永生病院(東京都八王子市)の宮澤美代子相談役は苦悩を打ち明ける。同病院では候補者と面談し、本人の意向を確認した上で、担当職員らと相談しながら受け入れ延長を決めるという。

■「看護師としての自信がなくなる」

一方、今回の試験で不合格の場合、デウィさんのように既に帰国を決めている候補者も少なくない。国家試験に合格するまでの間、注射などの行為ができないため、中には「看護師としての自信がなくなる」と打ち明ける人もいる。「しばらくすると忘れるんですよね。スムーズにできなくなるんです」。昨年度の国家試験に合格し、新潟県三条市の三之町病院の脳外科病棟で働くヤレド・フェブリアン・フェルナンデスさんはこう話す。ヤレドさんは、院内の研修で徐々に感覚を取り戻したという。

在留期限の延長についてヤレドさんは、「システムを変える努力をしないと、今と変わらない」と指摘。日本語の研修期間を現行の6か月から1年に延長した上で、2年間実習を行うことを提案する。実習先については、看護学校か医療現場で実習先を選択できるよう求めている。

「仕事楽しいです」―。流暢な日本語でこう話すヤレドさんの横顔は、充実感に満ちていた。

「どんな結果であっても、わたしたちは既に勝っている。勝利者であることに変わりはありません」。駐日インドネシア大使のムハマド・ルトフィさんは、慰労会でこう元気づけるのが精いっぱいだった。

閉会のあいさつで、モハマッド・ユスプさんはこう締めくくった。「初めてのEPAの看護師候補者として、たくさん苦労しました。でも、日本語が大好きになりました。これからもインドネシアと日本のために、わたしたちはいろんなところで役に立ちたいと思います。いつまでもわたしたちのことを忘れないで応援してください」。

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外相、外国人看護師・介護士の受け入れ国拡大を検討 (2011/2/28 日本経済新聞)

前原誠司外相は28日午前、都内での講演で、日本の人口減少傾向について「(外国人)看護師・介護士の受け入れ対象国と人数を増やすことを模索しなくてはならない」と述べた。労働力不足に備え、受け入れ対象国を現在の2カ国から拡大する必要があるとの認識を示したものだ。

日本はインドネシアとフィリピンから経済連携協定(EPA)に基づいて看護師・介護福祉士候補者を受け入れている。これまでに合計1000人以上が来日したが、国家試験の日本語が難解なことなどから合格者は3人にとどまっている。

外相は「出生率を上げる努力の根幹は子ども手当だが、すぐには効果が出てこない」と説明。高齢化の影響も含めて労働人口の急減が見込まれることから「様々な分野の外国人研修生の受け入れを充実させなければならない」と指摘した。

看護師・介護福祉士候補を巡っては他国からも受け入れ要請は多い。政府内には日本語能力など現場の混乱を懸念し、慎重な意見が少なくない。16日に署名した日印EPAでもインドが求めた看護師・介護福祉士の受け入れは先送りした。

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看護職のWLB推進で取り組み報告会- 日看協 (2011/2/21 キャリアブレイン)

日本看護協会(日看協)は2月21日、「ワーク・ライフ・バランス地域推進連絡協議会」を開き、地域主体で看護職のワーク・ライフ・バランス(WLB)実現を推進する「看護職のワーク・ライフ・バランス推進ワークショップ」を今年度に実施した8都府県看護協会の関係者らが取り組みの報告や意見交換を行った。

ワークショップは、看護職のWLB実現に取り組み、働き続けられる職場づくりを行う病院を増やすことなどを目的に、都道府県看護協会が主体となって参加施設のWLB推進を支援するもの。今年度は8都府県協会、29施設が参加。来年度は12府県協会が新たに参加する予定だ。日看協は3年間で全都道府県での開催を目指している。

今年度の開催県協会と参加施設の取り組みについては、3月末にも報告書として各都道府県協会などに送付される見通し。

協議会では、各開催県協会が取り組みや参加施設への支援内容などを発表した。

取り組みの成果については、▽自施設の取り組むべき課題が明確になった▽就業規則の見直しが行われた▽業務委譲、役割分担の明確化につながった―などの報告があった。一方、問題点としては、業務繁忙などで施設の取り組みの進ちょくに遅れが見られたとの声が複数上がったほか、来年度以降に参加施設が増えた際の支援体制の構築などが課題として指摘された。

最後に総評した小川忍常任理事は、「本来は看護協会の事業ということではなく、病院経営をよくするのがWLBだ」と述べた上で、病院組織や病院団体、国や都道府県による取り組みの先駆けとして、引き続きWLB推進に取り組むよう協会関係者らに協力を求めた。

■外国人看護職の受け入れ「反対していない」―久常会長

協議会の冒頭、あいさつした久常節子会長は、EPA(経済連携協定)などによる外国人看護職の受け入れについて、「反対しているわけでもなんでもない」と述べた。

一方で、「医療の安全性を守る基本として、日本語が読める、話せることは大事なことだ」「まず、日本の看護職がどういう状況に置かれているか、そこをきちっと見て解決しないといけない」との認識を示した。

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