トップページ > 看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN) > 2010年2月 第110号

ヘッドライン ... このニュース記事は、EPA(経済連携協定)及び、外国人看護師・介護福祉士に関する全国ニュースをダイジェストでまとめたものです。

在日外国人対象に教室/介護と日本語習得支援/文化や習慣理解の工夫も(2009/12/11 下野新聞 14ページ)

◇宇都宮のNPO法人「地球人ネット」
宇都宮市の特定非営利活動法人(NPO法人)地球人ネット(長谷川朋子(はせがわともこ)理事長)は、在日外国人を対象に介護の基礎技術と日本語を学ぶ教室を開いている。国が外国人介護福祉士の本格的な受け入れを進める中、県内での受け入れを支援する取り組み。長谷川理事長は「将来、在日外国人を県内施設で働く外国人介護福祉士のリーダーとして育成したい」と話している。

「熱くないですか」「湯船に入りますね」
先月、小山市の特別養護老人ホームで行われた入浴ケアの講習。水着姿の受講者が要介護者役を務め、ほかの受講者たちが浴槽に入れる実技に挑戦した。「声を掛けないと介助される人は不安。一つの動作で一声を忘れないで」などと講師のアドバイスを受ける受講者たちは真剣な表情だ。

教室は6月から来年3月まで、毎月2、3回開かれる。日本語が中級レベル以上の人が対象で、県内在住の南米や東南アジア出身者ら24人が受講している。

介護の心構えをはじめ、食事や入浴、排せつなどの基礎技術、施設介護に欠かせない正しい記録の書き方などを学ぶ内容。介護に関係する用語や会話の補習も実施している。

講習で使う資料はすべてかな付き。講習後に毎回受講者が提出する振り返りシートなどで、日本語の添削も行っている。また日本や地域の文化、習慣も理解してもらおうと、講習の中で季節の童謡を取り上げたり、会話の例文に栃木弁を織り交ぜるなどの工夫も。

「教室で学んだことは実践につながる。介護で一番大切な思いやりの心も学んでほしい」と長谷川理事長。受講者のタイ出身の女性(50)は「勉強になる。両親が年同ネットは2004年に設立。介護の資格を持つフィリピン人を日本に招き、ホームステイを通して日本語と文化を学んでもらうほか、フィリピンの介護者養成学校の関係者に日本の施設を視察してもらうなど、日本語教育の支援と交流に取り組んでいる。

国は経済連携協定(EPA)に基づき、昨夏から日本で介護福祉士の資格取得を目指す外国人をインドネシアとフィリピンから本格的に受け入れている。

長谷川理事長は「県内で(介護福祉士候補受け入れに)名乗りを上げた施設はなかったが、受け入れは地域密着であることが大切。日本の施設で働きたい外国人と受け入れ施設の双方を支援していきたい」と話している。

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移民の介護独団体の試み/文化の違いに配慮し提供/社会保障ウオッチ。 (2009/12/12 日本経済新聞 夕刊 5ページ)

習慣や言語が異なる移民に対して適切な終末期医療や介護が提供できていないのではないか。ドイツでは最近、こんな問題意識が高まっている。国や自治体が対応策を模索する中、東アジア出身の移民を対象にした在宅ホスピス支援団体「ドン・バン・ジャ」(ベルリン)の活動が関係者の注目を集めている。

ドイツは1950年代から外国人労働者を積極的に受け入れてきた。結果、移民とその子供らが国民の約2割を占めるに至り、高齢化も進んでいる。

ドン・バン・ジャの設立者、キム・インスン氏も70年代に看護師として韓国から渡独。異国で老年を迎える心と環境の準備をすべく、同様に看護師として移住してきた女性らを率いて5年前、上記団体を設立した。その後にドイツ人や日本人、東アジア諸国出身者も加わり、現在約100人のボランティアがホスピス活動を行う。

ボランティアは依頼を受け、死期が迫る患者の自宅、病院、老人ホームに赴き、本人や家族の心的負担を軽減するよう、相談相手になる。必要とあれば、介護・看護サービスの選択や葬儀の手助けも行う。依頼件数は年40件ほど。

ここまではドイツで標準的な在宅ホスピスだが、同団体はこれらの支援を「文化の違いに配慮しながら」提供する。「年をとり、脳障害を患ったりすると、母国語しか話せなくなることも多い。母国の言葉と文化を理解する人が定期的に訪ねてくれることは、心の支えになる」とキム氏。依頼者を東アジア出身者に限り、言語だけでなく、儒教的価値観を共有する文化に合わせて支援する。ボランティアの養成など一部の作業に対しては公的保険からの補助がある。その他の不足する財源については寄付金や各種助成金で賄っている。

人口減少が進む日本でも本格的な移民の受け入れが議論になりつつある。ただ国や自治体は財政的に厳しく、精神的な、まして少数の移民のための支援などはなかなかおぼつかない。適切なケアを実現するには、移民自らの自主的な活動、それを支える財源の確保が課題となりそうだ。少数移民同士で協力するドン・バン・ジャは一つのモデルを提示している。
(ドイツ在住ジャーナリスト 吉田 恵子)
 ドイツのホスピス数とそれを支えるボランティア数
 入院型ホスピス施設   約170
 在宅型ホスピスの支援団体   約1500
 ボランティア数    約8万人
 (注)子供向けホスピスは除く
 出所:独ホスピス終末期医療連合会

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フィリピン人看護師候補者研修/語学指導に独自の教材/用語絞り短期集中/県病院協会(2009/12/17 静岡新聞 夕刊 3ページ)

県病院協会はこのほど、経済連携協定(EPA)で来日した外国人看護師候補者向けに、日本語習得のための独自テキストを作成した。県内の病院に11月から勤め始めたフィリピン出身の候補者たちは、このテキストを用いて語学力不足を補おうと懸命だ。

診療科別「患者情報共有の会話」をはじめ、「自覚症状に関する表現」「バイタルサイン・身体検査に関する表現」「病名・検査名リスト」などを盛り込んだ。専門用語には英語訳を添えた。静岡市内の病院で7〜10月に聞き取り調査し、頻度の高い言い回しや用語を抽出して作成した。

県内3病院に就職した6人のフィリピン人看護師候補者のうち、静岡赤十字病院(静岡市葵区)と三島社会保険病院(三島市)に勤める4人は、このテキストを用いて毎週水、木曜日、静岡市内で合同の日本語研修を始めた。12月上旬の合同研修で取り上げた産婦人科の場面では、「産科」「出産」「授乳」の熟語に戸惑い、発音を繰り返し練習しながら漢字のつくりと意味を覚えた。

外国人看護師候補者は、働きながら国家試験合格を目指す。3年間のうちに合格できないと帰国しなければならない。「母国では看護師資格を持ち、看護の概念は十分理解している。ネックは漢字。特定分野の語彙(ごい)を集中して学ぶことで短期間の習得を目指したい」。テキストを執筆し、両病院の合同研修で日本語を指導する常葉学園大非常勤講師の白鳥文子さんは意気込みを見せる。

テキストは400部作成し、同協会に加入する病院に配布する。

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(国境を越えて@山陰:1)支える/異文化の介護「家族のため頑張る」/鳥取県(2010/01/01 朝日新聞 朝刊 36ページ)

朝のまだひっそりした廊下を二つの人影が歩を合わせる。ゆっくりと。安原さや子さん(96)の歩幅は十数センチ。目がほとんど見えず、介護士シャー・ムシヤルさん(33)の両脇をつかみながら歩く。ムシヤルさんは安原さんの両ひじを抱える。8メートルほどの距離を1分近くかけ、洗面台にたどり着いた。

両手で水をすくい、なでるように顔を洗う安原さんにタオルを渡してムシヤルさんが尋ねる。「今日は美人さんの顔が見えますか」。鏡をのぞき込み、「見えますわ。ちっとは美人さんか」と安原さんの表情が和らぐ。顔を洗った後は朝ごはんだ。「美人さんにバイバイ」と2人は鏡に手を振り、また ゆっくり食堂へ向かった。

介護老人福祉施設「よなご幸朋苑」(米子市上後藤3丁目)には84人のお年寄りが暮らす。平均年齢は87歳。多くは認知症で車いすの生活を送っている。

ムシヤルさんは昨年5月から働く。インドネシアの病院に13年間看護師として勤務し、日本とインドネシアが進める経済連携の事業で一昨年に来日した=キーワード 参照。3年間の実務経験を積み、日本の介護福祉士試験を目指す。合格すれば日本で働き続けられる。

日本で得られる給与は魅力的だ。インドネシアの月給は約5万円。今は約18万円で、家賃などを引いても12万円近くは手元に残る。

受け入れ先の社会福祉法人「こうほうえん」は介護現場の人材が不足する将来を見据え、あっせん手数料など1人あたり約60万円かかる経費を負担して初めて外国人を採用した。施設長の高岡久雄さん(49)は「まじめでお年寄りのニーズにも柔軟に対応できる人材だ」と期待する。

インドネシアの男女の平均寿命はともに60代で、施設で介護を受ける認知症の人も少ない。初めて出会った90歳前後のお年寄りを前に戸惑うことは多い。

トイレを手助けしようとしたら「(トイレから)出て行け」としかられ、直後に今度は「(1人にして)死んだらどうするの」と腕をたたかれた。入浴介助で突然怒鳴られたが、なぜ機嫌を損ねたのか分からない。75キロあった体重は60キロに落ちた。

日本語の難しさも身にしみる。ポケットのメモ帳に「面会=めんかい」「臥床=がしょう」と覚えた言葉を書き込んでいる。ノートには「介護関連の漢字300字を今年7月までに覚える」と決意表明を記した。毎日30分間、施設の先輩に勉強を見てもらう。高岡さんが「高齢者の定義は?」と出題すると「65歳以上」と即答した。

試験の合格率は日本人でも5割。壁は厚いが、突破して家族を呼び寄せたい。

施設から自転車で10分ほどの6畳一間のアパートに住む。ベランダにはインドネシア料理に欠かせない唐辛子の木の鉢植えが並ぶ。部屋の壁には長女のサヒラさん(10)と長男のアルディン君(7)の写真がピンで留めてある。ジャカルタで夫クリスさん(37)と暮らしている。

日本に来た頃、体調を壊したアルディン君は電話口で「お母さん、帰ってきて」と泣きじゃくった。サヒラさんは口もきいてくれなかった。クリスさんは子育てに専念するため、テレビや雑誌の広告制作の仕事を辞めた。

いま月7500円で何時間も話せるインターネット電話用のノートパソコンが家族のきずなを結ぶ。クリスさんからは時折、携帯電話にメールも届く。「Hati2  dijalan say jg diri i love u」(気をつけて帰ってね。愛してるよ)。インドネシアの略語でつづられている。

「頑張るのは家族のため、子どものため」。ムシヤルさんは口元を引き締めた。

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横浜市福祉経営者会/外国人に介護研修/在留資格者対象/ヘルパー育成。(2009/12/18 日本経済新聞 地方経済面 神奈川 26ページ)

◇ヘルパー育成 人材不足補う横浜市内の特別養護老人ホームなどの運営法人でつくる横浜市福祉事業経営者会(横浜市)は2010年1月から、在留資格を持つ外国人向けの介護資格の研修講座を始める。就労意欲のある外国人永住者を介護ヘルパーとして育成することで、介護業界の人材不足の緩和につなげる。

ホームヘルパー2級を2カ月間で取得するコースを1月中旬に設ける。就労に制限のない在留資格を持つ外国人が対象で、当初はベトナム人を10人募集する。修了後の就職先もあっせんする。面接で日本語能力や就労への意欲などをみて受講者を選ぶ。

高齢者施設で働く場合、引き継ぎ書の作成や利用者の健康状態に関する注意喚起など、文書を読んだり書いたりできる日本語能力が必要。このためヘルパー資格の取得と並行して、読み書きに重点を置いた日本語研修も開く。

経営者会によると、日本語で簡単な文章が書ければ外国人を採用したいという施設は多いという。来年度は年3〜4回研修を開き、中国やブラジル、フィリピン人などにも対象を広げる方針だ。

外国人の介護人材は、経済連携協定(EPA)で来日した看護師がすでに市内の施設でも働いている。ただ、EPAで来日した場合、在留資格のある外国人と違い、施設に必要な人員の配置基準を満たす職員とはみなされないため、採用が進まない面もある。

横浜市は2010年度までの3年間で、特別養護老人ホームを2700床整備する計画を打ち出している。目標を達成するには少なくとも1000人程度の職員が必要だが、厳しい就労環境に比べて報酬が低く、日本人のヘルパーはなかなか増えない。

そこで着目したのが外国人永住者だ。経営者会は「今回の研修を受けて派遣する人の評判がよければ、外国人の採用に拍車がかかる」と期待している。

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日本の看護師になりたい/連携協定で来日/国家試験の条件緩和求める声/中部 (2009/12/20 中部読売新聞 朝刊 36ページ)

◆連携協定で来日 インドネシア人ら経済連携協定(EPA)に基づき、日本で看護師や介護福祉士を目指すインドネシア人やフィリピン人が、東海地方の医療や介護の現場で、働きながら資格取得の勉強に取り組んでいる。熱心な仕事ぶりが評価されているが、日本語での国家試験に3〜4年で合格しないと帰国させられてしまう。受け入れ先からは、仕組みが「厳し過ぎる」として、条件緩和など改善を求める声が上がっている。

「ディアンさん、お願いね」。名古屋市昭和区の聖霊病院4階ナースステーションで、日本人看護師から呼び掛けられたディアン・エカプトゥリさん(29)は、薬剤吸入に使うチューブを手際よく洗浄。病室で寝たきりの患者の胸を押さえて、看護師によるたん吸引を手助けした。

ジャカルタ出身。今年2月から別のインドネシア人女性と2人で働きながら、看護師を目指して勉強中だ。受け入れ担当の森川和世看護部長は、「よくやっています」と目を細める。日本語も少しずつ上達し、同僚や患者との関係も良好だという。

ただし、日本の看護師資格は持っていないため、任される仕事は、患者の食事の介助など、看護補助に限られている。母国では現役の看護師だっただけに、ディアンさんは「補助の仕事だけではさびしいです」と話す。

看護師希望者は、3年以内に日本の国家試験に合格しなければ帰国を迫られる。インドネシアでは一度、看護の現場を離れた人は敬遠されがちで、母国で看護師に復帰するのは難しいという。ディアンさんは、「勉強は大変だけど、頑張って国家試験に合格したい」と力を込めた。

同病院が最も苦心しているのは、国家資格を取得させるための指導方法を、自力で組み立てるよう求められている点だ

同病院では、「責任が重すぎる。最初に受け入れた2人に資格を取らせることが最優先」として、看護師希望者の追加受け入れを断念。ほかの病院でも、同様の事態が 起こっている

一方の介護士の場合、期限は4年間とやや長いが、国家資格を取れないと帰国させられるのは同じ。看護師希望者は少なくとも2回は受験できるのに対し、介護士は3年間の実務経験が求められるため、受験のチャンスは1回きりだ。

東海3県では、看護師、介護士希望者が、2008年度に14施設で29人働き始めており、09年度も25施設が60人を受け入れる。介護士希望者を受け入れた介護施設からは、「資格試験に不合格だった場合、在留資格を失うのはハードルが高すぎる」、「現地の言語で試験を受けられるようにするべき」などの声が上がっている。

これに対し、受け入れを仲介している厚生労働省所管の国際厚生事業団(東京都新宿区)は、「制度の内容は、2国間の協定で決まっているので変更は難しい。ただ、 研修への支援が現在の内容で十分だとは考えておらず、今後、充実させるよう努力したい」としている。

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看護師目指すインドネシア人/熱意十分/課題は漢字/国家試験に高い壁/京都(2009/12/21 大阪読売新聞 朝刊 21ページ)

◆経済連携協定で来日
インドネシアやフィリピンとの経済連携協定(EPA)で、看護師・介護福祉士を目指す研修生の来日が相次いでいる。府内では先陣を切って洛和会音羽病院(山科区)が研修生を受け入れ、両国の女性計6人が働いている。そのうち2月末に赴任した2人のインドネシア人研修生を訪ね、話を聞いた。

「ダイジョウブ?気を付けて。ゆっくり歩いてね」。同病院のリハビリ病棟の一角。日本で看護師の国家試験合格を目指すダルマワティ・ダムリさん(29)とウランダリ・サフィトゥリさん(24)の2人が、脳出血後のリハビリに励んでいた同区の男性(73)の両脇を抱え、声がけする姿があった。

2人の仕事は、看護助手として入院患者らに対し、入浴や食事、衣服の着脱、歩行などの介助にあたることだ。

介助を受けた男性は「マヒもあるので、私の話す言葉は分かりにくいだろうけど、ちゃんと聴き取ってくれている。ぜひ頑張って国家試験に合格してもらいたいなあ」 と話した。

EPAにより日本での就労が認められるようになったため、2人をはじめ、インドネシアからは先端医療を学んだり、母国に送金したりすることを目的に200人を超す研修生が第1陣として昨年8月に来日。研修生はまず半年間、日本語研修を受け、その後、各病院などに派遣された。

政府間の取り決めで、外国人研修生は、看護師の場合3年、介護福祉士は4年の滞在期間中に資格を取得できなければ、帰国しなければならないルールになっている。

ダルマワティさん、ウランダリさんは、ともに母国で看護師の経験があるが、今は助手の立場で仕事をこなしつつ、国家試験に向けた勉強に励む毎日。来日から約1年半がたち、患者や同僚との日常会話にはほぼ不自由しなくなったが、それでも頭を悩ませるのが「漢字」の存在だ。

患者の既往歴や連絡先、病状などは、コンピューター端末で閲覧する電子カルテに記載され、そこには漢字で書かれた専門的な医療用語がびっしり並ぶ。

例えば「手(て)」。見聞きする分には十分対応できるが、これが「義手(ぎしゅ)」のように別の漢字と組み合わさり発音まで大きく変わると、たちまち理解が難しくなる。国家試験でも問題に多くの難解な漢字が並び、外国人研修生たちには大きなネックになっている。

半年の日本語研修を終えた後、研修生たちが初挑戦した2月の国家試験では、看護師志願の受験者82人が全員不合格。2人もこの中に含まれていた。2人を身近で見守る同病院看護部の上野美帆主任は「文章の読解が難しいみたい。せめてルビがあれば……」と顔を曇らせる。

2度目の国家試験は来年2月。ウランダリさんは「合格できたら、この病院でまた働きたい」と話す。一方、ダルマワティさんの胸には「人の命を扱う責任の大きい仕事。合格して一人で働くようになった時にミスなく看護できるか」と不安がよぎることもある。

青木かおり師長は「私たちが忘れてしまいそうな優しさや家族を大事にする気持ち、わざわざ言葉の通じない国で働こうという意志の強さなど見習うところは多い」とエールを送る。

研修生の受け入れプログラムを支援する国際厚生事業団(東京都)の担当者によると、やはり日本語の読解に苦戦する研修生が多く、研修生や病院側からは受験可能期間の延長を求める声が寄せられているという。

様々なハンデを乗り越え、異国で奮闘する研修生たち。日本人にとっても、医療現場の人材不足改善のため、彼女らの活躍が強く望まれるはずだ。せっかくの新制度を形骸(けいがい)化させない工夫が必要だと感じた。

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(09取材メモから8)外国人介護研修生の1年/資格取得に言葉の壁/山梨県 (2009/12/22 朝日新聞 朝刊 29ページ)

お昼どき。車いすのお年寄りたちが囲むテーブルを順に巡って、食事のお盆を配る。その合間に、呼び出しランプがついた部屋に小走りで向かったり、ベッドで寝ている人を起こしに行ったり。エラ・ジュラエハさん(22)は、戸惑うそぶりも見せずに動き回る。

甲州市の特別養護老人ホーム「光風園」に1月、2人の女性スタッフが加わった。インドネシアから、介護福祉士を目指してやってきたエラさんと、ポピ・アルフィアトゥロフマーさん(23)。着任時の取材で「寒い」と山梨の第一印象を語っていた。

2人は今、二度目の冬を過ごしている。「やっぱり寒いです」。そう笑うエラさんの日本語も、だいぶ上達した。入浴や食事の介助など通常の仕事は、先輩たちの指示がなくても、自分で判断して進められるようになった。「もう立派な戦力です」。主任生活相談員で研修を担当する守屋英一さんが言う。

2人は地元の大学を卒業し、看護師の資格を取った。しかし母国には資格を生かせる就職先が少なく、先生の勧めで来日を決めた。

アニメで知る日本は、親しみを感じる国だった。今は「ワンピース」というアニメ番組がお気に入り。「まじめで頑張りや」だと2人をかわいがる先輩たちと、休日に一緒に遊びに行くことも増えた。母国の家族とは、「携帯でメールをやりとりするから、大丈夫です」と、照れたようにほほえむ。

国内の労働人口が減るなか、初めて外国から受け入れた介護労働者が、2人を含むインドネシア人104人。県内で初の受け入れ施設となった光風園も「将来を見越した試み」(熊谷和正理事長)と期待を語っていた。

しかし、1年たって思いのほか高い「壁」も見えてきた。

介護現場で3年間の「実務経験」を積んだうえで国家試験を受けるのは、日本人の介護福祉士志望者と同じ条件。2年先には試験の日がやってくるが、「日本語が完全ではないので、まだ試験科目の勉強に入れない」と守屋さん。漢字の読み書きも難題だが、微妙な言い回しも理解できない。10月から専門の日本語教師を週1回招くことにした。

それでも、介護福祉士の国家資格は日本人でさえ合格率が50%前後。2人の受験はチャンスが1回きりで、落ちれば帰国となる。守屋さんは、試験が難しいとの風評が同期生らの間で広まれば、努力をあきらめてしまわないかと心配する。

2年後のことは多くを語らない2人。これからの目標を尋ねると、「悲しみとか喜びとか、利用者さんの気持ちを深く分かるようになりたい」と返ってきた。できたら 資格をとってずっと日本で働きたい、と控えめに添えながら。

人材確保か技能研修か、その目的さえ議論が分かれたままスタートした制度。外国人の力をどう生かすか方針が定まらないなか、後続は相次ぎやってくる。県内でも今秋、フィリピン人2人が働き始めた。年明けにはインドネシア人が4人、新たに着任する。

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看護師派遣を早期に/ベトナム商工相日本と交渉の意向。 (2009/12/26 日本経済新聞 夕刊 2ページ)

ベトナムのホアン商工相は今年10月に発効した日本とベトナムの経済連携協定(EPA)を拡充するため、ベトナム人介護士の日本への派遣を巡る政府間交渉を早期に始める意向を明らかにした。日本の受け入れ拡大を念頭に、ベトナム国内での看護師や介護福祉士の育成システムを整備する考えも示した。フィリピン、インドネシアに次ぎ、ベトナムも福祉関連の人材受け入れの要求を強めそうだ。

日本経済新聞の取材に書面で回答した。日越EPAではベトナム人の看護師・介護福祉士の受け入れの可能性について協定の発効から2年以内に結論を出すことになっている。ホアン氏は「看護師・介護福祉士の派遣はベトナムにとって最重要の優先分野。フィリピンやインドネシアと同様、日本にも早期に受け入れを決めてほしい」と訴えた。

政府間交渉の開始時期ついては「EPA署名から1年以内」と明示。両国は昨年12月25日に協定に署名しており、可能な限り協議を急ぐ姿勢を鮮明にした。

ベトナムには日本と同様の看護師・介護福祉士の国家資格などがない。このためホアン氏は公的な資格や登録制度の創設を含む総合的な体制の整備に向け日本政府に支援策の拡充を求めた。

看護師・介護福祉士の育成に関して「(教育や訓練のシステムが整っている)日本で勉強すれば高い技能を身に付けられる」とする一方「費用がかかり、多くの人材を育成できない」とも指摘した。

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今年、あなたは/5/看護師目指し、フィリピンから来日/静岡 (2009/12/26 毎日新聞 地方版 25ページ)

◇母国の家族のため
「うーさーぎおーいし」。約30人のお年寄りたちが声を合わせて「ふるさと」を歌っていた。三島社会保険病院の内科病棟で18日、一足早いクリスマス会を開いた。

「うさぎ」のところでは両手を頭に乗せて耳の形に、「釣りし」と歌えば手首を上下させ、釣りざおを手まねした。1人の女性が、少し遅れながら、みんなと手ぶりを合わせていた。

シェーレイン・レイエスさんは34歳。フィリピンから5月に来日した。両国で昨年12月発効した「経済連携協定」(EPA)に基づき、初めて県内に迎えた外国人看護師候補生6人のうちの1人だ。

病室のベッドに腰を下ろす高齢の女性患者を目で追いながら、声をかけた。「枕はその場所でいいですか」「セーターを畳みますか」。何かしてほしいことはないか、絶えず気を配る。患者から「研修してるの」と聞かれると、ちょっと考えてから答えた。「フィリピンではナース、日本ではまだ違います」

出身はルソン島。フィリピンの大学で学び、看護師の資格を取った。救急病院で2年、勤務した。でも、日本では患者の身の回りの世話しかできない。日本の看護師資格を持っていないからだ。EPAの制度による在留期限は3年。それまでに日本で資格を取れなければ、帰国が待っている。

故郷に残してきたのは、心臓が悪い68歳の父と61歳の母。そして、6歳の一人娘。母国では、看護師の収入で暮らしを支えるのは楽ではなかった。来日も初めてではない。富山県のタッチパネル工場で99年から3年間、働いたことがあった。「寂しくはない。日本語のことで頭がいっぱいだから」。日本語の辞書を白衣のポケットに入れて持ち歩く。

11月、自宅から歩いて30分の教会に出掛けた。フィリピン人の姿もあり、久しぶりの母国の言葉に気持ちが安らいだ。教会で、家族の幸せを目を閉じて祈った。そして、看護師試験の合格も。

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リンジンとの距離/働く外国人を訪ねて<1>/介護の現場/異文化に寄り添って (2010/01/06 西日本新聞朝刊 9ページ)

「んまかどー(おいしい)」。焼き魚を口に入れた女性の鹿児島弁に、食事介助しているマエサロさん(23)の目元が笑った。就業前に受けた日本語研修はわずか半年。おまけに、鹿児島弁は独特な語彙(ごい)やイントネーションを伴う。「言葉が分からなくて、半年ぐらいはよく泣きました。でも、今は『してくやい(してください)』と言われても大丈夫です」。マエサロさんの言葉に、一緒に日本にやって来たヘニさん(24)がうなずいた。

インドネシア・ジャワ島出身の2人は2008年8月、2国間の経済連携協定(EPA)に基づいて来日した介護福祉士候補者だ。昨年1月末から、鹿児島県南さつま市の介護老人福祉施設「加世田アルテンハイム」で働いている。

制度の趣旨が「介護福祉士の国家資格取得と就労」である以上、2人とも仕事が高齢者の介護であることは当然理解し、知識も持っていた。それでも、現場に入ると当惑した。

ヘニさんは語る。「インドネシアでは家族が自宅でお年寄りの面倒をみるのが普通。イスラム教は信徒同士の助け合いを重んじているし、お年寄りは地域で敬われる存在です」対して、日本の介護は施設が大きな柱だ。「家族がいるのに、なぜ離れて暮らしているの? おばあちゃんを見て、かわいそうと思いました」とヘニさんは打ち明ける。約1年たった現在の印象を尋ねると、少し間を置いて、「慣れました」という答えが返ってきた。母国の文化を捨てることはできない。いま、身を置く異国の文化を拒むこともできない。二つの文化を生きなければならない人間の複雑な心境が、短い返事からうかがえた。

言葉、文化、生活習慣…。さまざまな壁や違和感に戸惑いながらも、2人の日本での仕事は続く。

ある時、1人のおばあちゃんがヘニさんを見つめて、「孫に似ている」と相好を崩した。ヘニさんは10歳の時に亡くした祖母の面影を重ね、「私も本当のおばあちゃんみたいに思った。同じ人間。気持ちが分かるようになったと思います」としみじみ振り返る。

入所者たちは2人を温かく受け入れ、「昭和の日本の子みたい」とかわいがっている。「たたずまいや高齢者を敬う姿勢が、日本が失ってしまった何かを思い出させてくれる」と吉井敦子園長。「外国人の介護を拒否する人がいないかと心配していましたが、取り越し苦労でした」

2人の月給は約12万円。インドネシアで働く看護師の平均月収の約5倍という。毎月3分の1を母国の家族に仕送りしている。

「母国では日本のテレビドラマやアニメが人気です。日本のイメージはインドネシアにないものがたくさんある国。『日本にはチャンスがある、働きたい』と思っても、入り口が開いてないと思っていました」と話すマエサロさんは「新幹線、自動販売機、歩くのが速い日本人。テレビの中の世界にいるみたいです」と陽気に笑った。

2人の当面の目標は2年後に国家試験に合格して日本で働き続けることだ。だが、永住を希望しているわけではない。マエサロさんは「日本で5年ぐらい働いたら、帰って家族と一緒に暮らしたい」という。

休日の2人の楽しみは国際電話で家族と話すこと。でも、「さみしい」のひと言だけは言葉にしない。(佐々木直樹)

9万3千人を超える外国人が九州で暮らし、さまざまな現場で働いている。身近な隣人になりつつある人々と共に生きるよりよい道を探るため、働く外国人を訪ね、現状をルポする。

▼インドネシア、比との経済連携協定
インドネシア、フィリピンとの経済連携協定(EPA)の一環で看護師・介護福祉士の資格取得を目指す候補者を受け入れている。2009年5月までに、第1陣として両国から計491人が来日。今年1月中旬から、インドネシアからの第2陣(361人)が就業する。3―4年以内に国家試験に合格すれば、引き続き滞在できるが、取得できなければ帰国となる。介護福祉士は3年間の実務経験が条件。試験は実質1回だけで「条件が厳しい」との指摘がある。

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看護介護全国ニュース(BERITA PERAWATAN)2017年 1月〜11月号

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